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仙台高等裁判所秋田支部 昭和35年(ネ)76号 判決 1963年4月24日

控訴人(被申請人) 弘南バス株式会社

被控訴人(申請人) 小野慶三 外一名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴会社の負担とする。

事実

控訴会社代理人らは、「原判決を取り消す。本件申請はいずれも却下する。訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら代理人らは主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、以下に附加するもののほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

一  被控訴人ら代理人らの主張

(一)  労働協約第二九条違反について

1  控訴会社、日本私鉄労働組合総連合会弘南バス労働組合(以下単に組合という。)間における本件解雇当時の労働協約(以下単に協約という。)第二九条に定める協議方法として書面協議によるのは、解雇以外の軽微な事案であつて、かつ、就業規則第一九四条による賞罰委員会の全員一致の答申がある場合に限られるのが通例であり、懲戒解雇事案については、すべて団体交渉で協議解決するのが慣行であつた。元来控訴会社が懲戒処分を行なおうとするときは、賞罰委員会に懲戒事案を諮問すると同時に、組合にもこれを内示し、この内示に対し組合が独自の立場で反対の意向を示すときは、懲戒事案について賞罰委員会と平行して労資双方団体交渉を重ね、あるいは賞罰委員会の答申後団体交渉で協議を重ねるのが通例となつていたものであり、これこそ「労使間の慣行」であつた。そして、組合が控訴会社の内示に反対の意向を示す事例は、とくに、懲戒解雇という重大な懲戒処分の場合および懲戒処分が組合活動を原因としてなされると思料される場合であつた。

2  控訴会社は、以下に述べるとおり、本件懲戒解雇について当初から協約第二九条の協議手続を誠実に履行する意思はなかつた。控訴会社と組合との間には昭和三五年三月頃同年四月以降の賃上げ要求をめぐつて団体交渉がもたれたが、解決をみず、組合はやむをえず同年三月七日から運転部門以外の組合員をしていわゆる指名ストを実施させていたところ、控訴会社は同月九日いち早く告示を発表し、右争議の弾圧、取締対策を明らかにした。すなわち、右告示の第二ないし第四項はストライキ参加者の会社施設内の立入禁止、ストライキは届出なくしてやれないこと、会社の考えにより臨時に配転すること等を内容とするものであり、これにより正当な争議行為を否認し、あるいはストライキ参加予定者に理由のない不利益処分を科そうとするものであり、加えるに、同第六項は前各項に違反する者に報告書、顛末書の提出を強要し、組合員に対し無言の心理的圧迫を加えようとするものであつた。控訴会社は、このように正当な争議行為、組合活動を封殺する布石を置いたのち、同月一七日組合に対し「就業規則第一九五条後文の適用実施について」と題する文書を送付し、「懲戒事犯発生者に対する指導の迅速化並びに膺懲遅延による悪影響防止のため」と称し、今後同条を適用して処置する旨通告した。この通告にしたがえば、控訴会社は今後懲戒処分を賞罰委員会の答申を経ないで独断専決することが可能となる。しかし、同条は賞罰委員会省略の要件を「賞罰に該当する事項が余りにも明白であり且つ緊急を要する場合」としているところ、正当な争議行為であるかどうかは学説、判例においても常々論議される困難な問題であるから、争議行為を右要件に該当すると断ずることを得ず、同条が争議を対象にしたものでないことも明らかである。にもかかわらず、控訴会社が右通告を発した点にこそ同会社が最初から協議意思なく、独断的に懲戒処分を強行しようとした不法の企図をみることができる。果して、控訴会社は同年四月七日本件解雇処分について「懲戒処分の決定通知」と題する文書を添付して書面協議の申入れをしてきた。これに対し、組合が、賞罰委員会の答申を省略するという例をみなかつた控訴会社の態度および、懲戒解雇処分という重大な問題については書面協議の慣行がないにかかわらず、同会社が一方的に書面協議の方法を採つてきたことから、「会社の態度は不当労働行為であり、且つ又現労働協約に違反する。」と指摘して控訴会社に猛省を促したのは当然であつた。同会社が反省することなく、同月九日またも書面協議の申入れをしたことに対し、組合が翌一〇日右と同趣旨の回答を送つたのは、同会社が不当な態度を改めない以上、これまた当然のことであつた。しかして、組合は、右回答後も、同会社が本件解雇処分の撤回をしない場合はじめて慣行である団体交渉により協約第二九条の協議を行なうことを準備していたのである。

3  右のように、控訴会社は就業規則第一九五条後文の適用を濫用したばかりでなく、従来の労使間の慣行を無視し、解雇処分に対し書面協議の方式を強要したもので、同会社の右態度が協約第二九条の「協議」に該当しないのはもちろん、信義則にもとづいて慎重協議を重ねることもなかつたのであり、またもともと当初から誠実に協議を尽くす意思は毛頭なかつたのであるから、原判決が「組合は本件については与えられた機会をその都度放棄したものと認め」たのは不当というほかなく、組合が協議に応ずべき誠実適法(慣行を含む。)な「協議」の対象は存在しなかつたものというべく、本件解雇処分は労働協約第二九条に違反してなされた無効のものである。

(二)  本件解雇事由が不当で、かつ、理由がないことについて

1  組合文書の掲示等(解雇事由(一)の(1))について

控訴会社弘前営業所車掌控室(以下単に車掌控室という。)の掲示板一個を組合用掲示板として使用することは控訴会社から許可されていたが、これ以外に組合文書を掲示することも別段制限されてはいなかつた。すなわち、組合車掌支部(以下単に車掌支部という。)は昭和三四年六月の組合定期大会で規約改正により設置をみたもので、それ以前は、車掌たる組合員は組合弘前支部(以下単に弘前支部という。)に所属していた。昭和三二年秋頃秋田光子車掌係長と弘前支部幹部との話合で右組合用掲示板を組合文書掲示場所として協議決定したが、その後、所属組合員は、争議時、平常時を問わず、組合用掲示板以外の箇所にもクラブ活動に関する掲示文、他の組合員との交流に関する掲示文、組合の動員要請文、職場集会開催通告文などを、控訴会社の許可をうることなく、掲示してきた。控訴会社は右を目してなんらの警告や制止を行なわず、組合文書の掲示については控訴会社の許可なく組合用掲示板以外の箇所に貼り出すという慣例を認め、なんらの争いもなかつた。しかるに、突然、本件について無許可の掲示をなしたとして被控訴人らを非難するのは不当というべく、しかも、昭和三五年三月一五日頃から組合用掲示板以外の箇所に貼り出された組合文書は僅少で、これにより控訴会社の業務が妨害されたことはないばかりか、当時は控訴会社により組合員の脱退が策謀されている時であつて、組合員の団結を呼びかける宣伝活動は一層必要でもあつた。また、三月三一日、四月一日、二日の三日間午後七時頃開いた職場集会の際は、2に記載の事情で組合文書等を掲示して事務室からの透視を防止したが、午後七時以降使用される窓口は平常どおりにしておいたので、帰庫した車掌の事務にはなんらの支障もなかつた。

2  不許可集会(解雇事由(一)の(2))について

昭和三二年秋頃以来弘前支部は同支部主宰の職場集会を車掌控室で開いているが、その手続は、争議時、平常時を問わず、車掌控室に「集会通知」を貼り出すだけであり、「許可願」を提出し、許可を得てはじめて開くということでは決してなかつた。控訴会社は右手続を認め、なんらの警告、制止をすることもなかつた。車掌支部が独立してからも、この手続にはなんらの変りなく、これが集会手続の慣行であつた。したがつて、不法な職場集会はここ二、三年間は全く行なわれた事実がなかつたばかりでなく、無許可の不法集会はやろうとしても不可能であつた。被控訴人らは、この慣行にしたがい第一回集会(三月二一日、二二日、二三日)の開催通知を車掌控室に三日間にわたり掲示した。しかし、三月九日付告示が出されていたので、無用の紛争を避けるため、一応三月一九日頃使用許可願を提出したが、三月二一日正午頃不許可の意思表示があり、第二回職場集会(三月三一日、翌月一日、二日)についても使用許可願を提出したが、これまた三月三一日正午頃不許可の通知があり、不許可の理由はいずれの場合にも明らかにされなかつた。被控訴人らは、ここに組合が控訴会社の支配、介入により分裂させられて支部の団結と組織防衛が最重要時の当時において右会社が理由なく不許可にしたのは組合活動に対する不当弾圧であつて、なんら合理的理由をもたないものとして、慣行にしたがい右第一、第二集会を開催した。もつとも、その集会の際、点呼執行者から警告文を手渡され、また点呼執行者から二、三回、弘前営業所長から、一、二回口頭で警告を受けたことはある。しかし、右集会は午後七時以後開催され、その目的、内容は組合分裂による団結の強化と組織防衛のための討議ならびに争議、団体交渉の経過報告であり、集会はいずれも組合本部および支部役員の問題点の説明と質疑応答の形で平静のうちに進められた。さらに、集会は午後七時以後を選んで行なわれたので業務を妨害することもなかつた。すなわち、市内、郡部を合わせた九五行路のうち午後七時以降乗務しまたは帰庫する行路は二七行路で全体の二八%であるから、午後七時以降は車掌控室では一日の大部分の業務が終了しているわけである。また、三月三一日、翌月一日、二日の職場集会の際は、控訴会社が集会の開かれた午後六時頃から車掌控室に隣接する事務室に臨時守衛をはりこませ、車掌控室内を異様な風態で瞥見させ、集会参加者とくに女子組合員に対し無言の圧力を加えようとしたので、被控訴人らは一見して暴力団と見られる臨時守衛との摩擦を避け、集会を早期かつ円滑に進めるべく、午後七時以降も使用される窓口を除き、文書、旗等でガラス窓からの透視を防止したにすぎず、「通行禁止」のビラも臨時守衛に対してであり、そのビラを貼つたドアは鍵の装置なく、開閉は自由にしておいたのであり、車掌控室を占拠するようなことはなかつた。

3  労働歌の高唱(解雇事由(一)の(3))について

三月二五日から三月三一日までの間労働歌を歌つたことはあるが、その期間は労働争議状態にあり、そのうえ、三月一九日には控訴会社の介入により第二組合が結成され、同日以降の第二組合への加入工作は積極的に行なわれていたので、車掌支部組合員が団結を固め、組織防衛を果すべく労働歌を歌う必要はとくに顕著であつた。しかも、歌つた場所は車掌控室で、時間は昼休みや午後七時以降すなわち乗務員以外の退社時間以後である。そして、被控訴人らがこれを煽動したことは一度もなく、組合員の自主合唱によるもので、これにより職場を「はなはだ喧噪ならしめた」ことは全然ない。

4  職場内の立入および秩序紊乱(解雇事由(二))について

被控訴人小野は昭和三五年三月二三日、二四日の二日、同阿保は同月二三日、二四日の二日と同月一五日の三時間、同月二二日の一時間二〇分それぞれスト指令を受け、指名ストに参加した。指名ストは当該組合員が自己の通常の業務を拒否するだけで、従業員の身分を保有する以上、会社の構内に出入することはもとより自由である。また、被控訴人小野は昭和三五年三月二五日付をもつて一四日の出勤停止処分、被控訴人阿保は同日付をもつて一〇日の出勤停止処分に処されたが、これは三月二一日、二二日、二三日の職場集会を理由とするものである。しかし、右集会は従来の慣行にしたがい開催したもので、それをこの時点でとり上げて非難することは許されず、不許可にした合理的理由もない。かえつて、不許可は慣行違反として無効と判断される。また、集会の内容も平穏に行なわれ、業務を妨害する事態は全くなかつたから、出勤停止処分の最高を課したのは明らかに不当な処置であり、被控訴人らの組合活動を理由とする差別待遇であるばかりでなく、控訴会社は右出勤停止処分について協約第二九条の協議手続を経てもいない。仮に出勤停止処分が正当であるとしても、その処分は被控訴人らの勤務、就業を会社が禁止するだけであるから、職場内への立入が許されることは明らかである。被控訴人らは右期間中も車掌控室に出入りした。その目的は主として支部組合員への支部長、副支部長としての連絡であり、控訴会社の組合組織切崩しに対する防止策であつた。終日組合宣伝をやつたり、文書の配付をしたことはない。それに四月四日以降は裁判準備のためほとんど控室あるいは職場に出入りしていない。被控訴人らが上司から退去警告を受けたことは一度もない。守衛および臨時守衛から退去警告はあつたが、それも四月五日頃から一、二度であり、紛争は一度も起きていない。被控訴人らは当然控訴会社の制服を着用していたのであつて、「故意にみだらな風態をして職場内を徘徊した」ことはない。

(三)  不当労働行為について

1  被控訴人らの過去の職務活動

被控訴人らは、車掌支部の支部長または副支部長に選出されて以来、同支部組合員の職場の改善、労働条件の向上に努力してきた。昭和三四年一二月頃組合執行部は各職場の細部にわたる労働条件の改善要求は各支部毎に解決すべき運動方針を決定したので、車掌支部は、支部会議の結果、組合員の多数が緊急に希望している問題として、せつけん、タオル、手袋およびアノラックの支給方を要求することを衆議一決し、その要求書を弘前営業所長に提出し、団体交渉を申し入れた。青森、五所川原等の組合支部においては、車掌たる組合員の同種の要求は、各営業所長との交渉の結果、昭和三五年二月頃まではほとんど貫徹されていたのに反し、弘前営業所長は団体交渉を拒否するばかりか、誠意ある回答をも寄せないので、車掌支部組合員は、やむなく、公休日を利用して控訴会社本社前に集合し、団体交渉に応ずべきことを要求した。これによりはじめて弘前営業所長は団体交渉に応じ、その後いくばくもなくして、車掌支部の要求は控訴会社の受諾するところとなつた。以後、控訴会社は被控訴人両名を好ましからざる組合指導者として理由なく嫌悪し、企業外排出の機会を狙つていた。

2  控訴会社の昭和三五年一月以降組合に対する支配介入、弾圧の諸事情

(1) 昭和三五年三月頃同年四月以降の賃上げ要求をめぐつて団体交渉がもたれた。右要求は一人平均一、四三〇円の賃上げであり、控訴会社の経営状態、企業利益率を検討して決定された額で無理な数額ではなく、私鉄関係東北六社の組合の要求額の最低であつたにもかかわらず、控訴会社は、組合勢力弱体化の意図から、ことさらこれを拒否し、三月三日の最終回答でも実質一人八百円程度の賃上げを認めたのみで、あとは一銭なりとも譲歩しないという態度をみせた。

(2) 控訴会社は昭和三五年一月頃からその職制を通じ第二組合の結成、指導を徐々に進め、同年三月頃から半ば公然と組合員に対する組合脱退の強要が始つた。組合の各支部を通じ、課長、部長、所長等あらゆる職制を使用して、縁故で採用された組合員には義理、人情で、他の組合員には飲酒、饗応を行なう等あらゆる甘言、強要をもつて分裂策を図つた。それは深夜といわず行なわれた。ために、三月一九日斉藤武文ほか六九名が組合を脱退し、第二組合結成へ進み、控訴会社の意図はひとまず実現した。組合は控訴会社の右行為を不当労働行為として同年四月二五日青森県地方労働委員会に対し救済申立を行なつた。

(3) 前示の三月九日付告示および同月一七日付通告は、協約第二九条の協議手続を実質的に形骸化しようとする布石であつたと同時に、正当な争議行為を抑圧しようとする明白な不当労働行為の表白であつた。

(4) 控訴会社は三月九日付告示後、前叙の職場集会の慣行を破り、職場集会を車掌控室で開くことを拒否するにいたつた。

これに反し、第二組合の職場集会にはすべて職場使用を認めた。一例をあげれば、昭和三五年三月下旬頃、第二組合に対し、弘前営業所待合室において職場集会を午後七時から行なわせている。この控訴会社の態度は、慣行に反するばかりか、差別待遇であつて、組合に対する不当労働行為であることはきわめて明白である。

3  被控訴人両名の昭和三五年三月以降の組合活動は前叙のとおりであつて、これが正当な組合活動であることは明らかである。しかるに、控訴会社が右活動に対し不当な言いがかりをつけ解雇事由とするのは、1、2の事情をも合せ考えると、明らかに組合活動を理由とする労働組合法第七条第一号該当の不当労働行為である。

(四)  控訴会社主張の二の(三)の2、5ないし10の事実中、弘南バス労働会館が存在すること、被控訴人阿保が昭和三五年五月三一日逮捕されたことは認めるが、その余の事実は、被控訴人らの主張と合致する部分を除き、争う。ことに、協約の有効期間は、その第八三条第一項(同条第二項、第三項は第一項の例外規定である。)の定めるとおり、昭和三五年六月七日までであるから、組合はその満了日から三ケ月前に控訴会社に対し満了後の労働条件について協約改訂の協議を申し入れたところ、控訴会社が応じないので、争議手段に訴えたのであるから、平和義務に違反するところはない。また、被控訴人阿保は即日嫌疑が晴れて釈放されたばかりでなく、かような解雇後の事情を解雇事由に附加することは許されない。さらに、被控訴人主張の仲裁条項は裁判所または労働委員会に提訴して解雇の当否の判断を仰ぐことを決めたにすぎず、被控訴人らが七名のうちに含められたのは、事件が青森地方裁判所弘前支部に係属していたことを唯一の理由とするものである。

二  控訴会社代理人らの答弁

(一)  被控訴人ら主張の一の(一)の事実中控訴会社が昭和三五年三月九日告示を発表し、同月一七日組合に対して通告を発したこと、昭和三五年三月七日以降指名ストを実施したこと、一の(二)の1の事実中車掌控室内の掲示板一個を組合用掲示板として使用することを許されていること、(二)の2の事実中不法な職場集会はここ二、三年間はほとんど全く行なわれたことがないこと、被控訴人らはその主張のとおり六日にわたり職場集会を開催したこと、その集会の際被控訴人ら主張のような警告書の手渡、口頭警告があつたこと、一の(二)の4の事実中被控訴人らがその主張のように指名ストに参加し、また出勤停止処分に処されたこと(ただし、出勤停止処分の事由を除く。)、一の(三)の1の事実中組合が各支部毎に各職場の細部にわたる労働条件の改善要求をさせるとの職場闘争の運動方針を決定したこと、車掌支部が手袋、アノラック等の支給を内容とする要求を決定し、その要求書を提出して弘前営業所長に団体交渉を求めたこと、公休日を利用した車掌支部組合員が団体交渉に応ずべきことを要求して本社前に集合したこと、一の(三)の2の事実中組合が昭和三五年四月以降一人平均一、四三〇円の賃上げ要求を提出しこれをめぐつて団体交渉がもたれたこと、三月三日の最終回答を組合が拒否したこと、昭和三五年三月一九日斎藤武文ほか六九名の者が組合から脱退し、第二組合を結成したこと、第二組合の結成に対し組合が被控訴人ら主張のように救済申立を行なつたことは認めるが、その余の被控訴人らの主張事実は否認する。本件解雇処分が有効である理由は、以下に述べるとおりである。

(二)  協約第二九条に違反するものではない。

1  三月九日付告示は就業規則第九条にもとづき定められたものであるが、その内容は協約および就業規則以上に出るものではない。その第一項は協約第一一条、第一五条、第一六条、就業規則第八条、第五八条により勤務時間中または会社施設内における組合活動は許可を要することになつているので、これを確認したにすぎないし、第三項はストライキとそれ以外の職場離脱を明確にするため単に届出を求めたものであり、第二項は指名スト参加者が過去の事例にかんがみ勤務時間中職場内に立ち入つて業務を妨害し、職場秩序を乱すことに対処するもので、スト参加者の職場内への立入を禁止するのは当然のことであり、第四項は指名スト等の結果業務に渋滞を生じたときに臨時に配置を行なうもので、平常行なわれる業務の応援にすぎない。控訴会社が右告示を出したのは、すでに以前から職場の秩序が乱れ始めており、過去の事例にかんがみるときは、これをこのまま放置すれば、職場秩序は益々収拾しがたい混乱状態に陥ること必至であつたからである。事実、その後、指名スト参加者の職場内立入、不法な職場集会、ビラの不法掲示、労働歌の高唱が行なわれ、職場秩序は極度に乱され、業務は妨害されるにいたつた。このような事態を直視するときは、控訴会社が右告示により不当な行動に出ることのないように警告したのは当然の措置であつた。また、三月一七日付通告は就業規則第一九五条第二項を適用して処置することもある旨通告したもので、一般的に同条を適用する趣旨ではない。同項を本件に適用したのは、被控訴人両名が組合活動の名においてあまりにも明白な違法行為を指導、実施させ、しかも控訴会社の警告、制止をも無視して全然聞きいれようとしないので、これを放置するときは、同様の違法行為が当然のこととして他に模倣され蔓延するおそれがあり、緊急を要する場合であつたからである。のみならず、同項の適用により賞罰委員会の手続を省略しても、被控訴人らは、就業規則第一九六条にもとづき異議申立権を行使することにより、事後に同委員会の諮問手続を要求できるから、なんらの不利益をこうむることもない。

2  協約第二九条の「協議」に関する労資間の慣行は、賞罰委員会の意見が分かれている場合であつても、また懲戒解雇の場合であつても、他と区別することなく、いずれも書面協議でなされてきた。本件懲戒解雇についての二回の書面の往復は、それ自体従来の書面協議の慣行を如実に実証してあまりがある。被控訴人らは、組合の回答は控訴会社の慣行に反する書面協議の申入れに対して猛省を促したものであつて、控訴会社が本件解雇処分を撤回しない場合はじめて団体交渉を行なうことを準備していたと主張するが、組合の回答からはそのような趣旨は毫末も読みとれない。控訴会社が再度にわたつて具体的意見を述べるように要請したにかかわらず、組合が被控訴人両名の解雇処分を撤回する以外とりあわない態度に出てきたことは、明らかに誠意をもつて協議に応ずる意思のないことを表明したものである。すなわち、組合は正当な意見を述べる機会を与えられながら、みずからこれを放棄したものというべきである。したがつて、控訴会社としては協約第二九条の協議手続を十分尽くしたもので、なんら同条の違反はない。

(三)  解雇事由は不当ではなく、理由を欠くものではない。

1  組合文書の掲示等について

従来被控訴人らは車掌控室内の組合用掲示板(黒板)以外に組合文書等を不法に掲示することはほとんどなかつた。しかるに、今回は控訴会社の再三、再四にわたる警告、制止をも無視して、あえて右組合用掲示板以外の箇所に、全く所かまわず、夥しい数のビラを掲示した。しかも、これらのビラの大半は必要な事項を支部組合員に伝達するためのものではなく、団結を誇示する文書、赤旗、醜悪な落書、会社、上司に対する誹謗、中傷の文書で正当な宣伝活動とはおよそ無縁のものであつた。

2  不許可集会について

控訴会社は、平常時には原則として職場集会を許可してきたが、争議時には喧噪にわたり職場秩序を乱すことが著しいため、争議を妥結するか否かを組合員にはかる場合等特別の事情がない限り、会社施設の使用を認めない方針できたが、組合もこれを守つてあえて不許可の集会を強行するようなことはなく、不法な組合集会はここ二、三年間はほとんど全く行なわれた事実がなかつた。そして、平常時、争議時のいずれの場合でも、労働協約、就業規則の定めるところにより、組合執行委員長から控訴会社社長あてに所定の許可願を提出させ、それにもとづいて許可を与えてきたのである。今回の争議は組合が始めから強引、熾烈な闘争を予定しており、不当な目的で集会を強行することがはつきりしていたので、許可を与えなかつたところ、被控訴人らは不許可のまま、しかも、就業時間中に、勤務者の現存する車掌控室内で、勤務者をまじえて前後六回にわたりこれを強行し、その都度上司、守衛長が集会の現場に赴き警告、制止しても、全く無視して応じようとせず、業務は妨害された。すなわち、午後七時以降最終終業時たる午後一〇時三〇分までに車掌控室内で勤務を終える行路は、市内線二八行路、郡部線一三行路、合計四一行路であるから、右時間内に車掌控室内に勤務する車掌は四一名で、これに車掌控室で待機する予備者、見習者一二、三名を加えると、合計五三、四名となる。したがつて、右職場集会がこれらの者の職務を妨害する結果を生ずるのは必然のことである。ことに、三月三一日、翌月一日、二日の不法集会の際は、控訴会社の施設管理権を完全に排除して業務を妨害する行為に出た。車掌控室とこれに隣接する事務室との間は、運行管理事務遂行の必要上、ガラスの建具をもつて仕切られ、出入口一ケ所および受付口三ケ所が設けられているところ、右不法集会の際には、受付口一ケ所を残して他の部分全部を赤旗等をもつておおい、残された受付口も多数組合員をうしろ向きに立たせて完全に封鎖し、さらに事務所との出入口には「通行禁」なるビラを掲示し、控室と事務室との間を完全に遮断するとともに、控室には組合員以外の者の出入りを一切禁じ、控室を不法に占拠するにいたつた。このため控訴会社の運行管理事務その他の事務が著しく阻害されたのはいうまでもない。

右のような不法な組合活動に対し、控訴会社は、組合集会その他の組合活動の便宜のために弘前営業所のすぐ近くに弘南バス労働会館を提供してきていることを告げて、被控訴人らが同会館で集会を行なうよう再三要請したが、全然応じないばかりか、かえつて「職場内で組合活動を行なうことに意味があるのだ。」と豪語する始末であつた。ちなみに、昭和三五年三月一四日には弘前支部においても職場内で不法な組合集会が行なわれたが、その後は、控訴会社の指示、命令にしたがい、右会館で行なつた。

3  労働歌の高唱

被控訴人らは、控訴会社の警告、制止にもかかわらず、三月二五日頃から解雇にいたるまで(解雇理由書に三月三一日までとあるのは最も激しかつた時期を指す。)の間、ほとんど連日のように、就業時間中車掌控室に来て、支部組合員を集めて労働歌を高唱させた。このため事務室の電話が聞きとれないほど職場は喧噪をきわめたが、これらの歌の中には弘前営業所長佐藤正実を誹謗、中傷する「マサミ、ハギシリ、ブルース」なるものがあつた。

4  職場内の立入および秩序紊乱について

職場内に立ち入つて会社の秩序を乱し、業務を妨害した行為であるが、以上述べた組合文書の掲示、不許可集会、労働歌の高唱等の不当な組合活動は、指名スト中ないし出勤停止処分期間中に他の従業員が勤務している職場内で行なわれたものであつた。当時はまだ争議の初期の段階であつて、指名ストに入つている組合員はきわめて僅かであり、控訴会社の業務は平常どおり遂行され、職場秩序も保持されている時であつたが、被控訴人らは右不当かつ違法な組合活動を指導する目的をもつて指名ストに入り、また、出勤停止処分期間中も、全く反省することなく、平穏な職場に立ち入り、故意にみだらな風体をして職場内を徘徊し、上司や守衛に反抗し、侮辱的な態度に出て、ことさらトラブルを惹起し、職場秩序を乱した。

5  被控訴人両名が以上の不当な組合活動により企図した重要な目的は、故意に規律に違反し、秩序を乱し、業務を妨害し、上司の指示、命令に違反し、さらには、控訴会社および職制の権威、信用を失墜させることによつて不当に組合の団結を誇示することにあつた。被控訴人らがなに故にこのような不当な組合活動に出るにいたつたかについては、そのバックグラウンドともいうべき今回の争議の本質を明らかにする必要がある。すなわち、組合は昭和二六年以来ほとんど毎年のようにストライキを行ない、その要求をかちとつてきたが、このため控訴会社はストライキによる損害と賃上げによる人件費の増大によつて年々行なわれるべき車両の償却もできないような赤字経営に追いやられ、将来の企業経営の見通しすらあやぶまれるような事態に直面していた。しかるに、組合は、この経営の実状いかんにかかわりなく、その要求を貫徹しようとする闘争至上主義にのつとり、私鉄総連のスケジュールにしたがい、賃上げと協約の改訂を企て、強引な闘争を押し進めた。賃上げについては不当に高額な要求を控訴会社につきつけ、かつ、昭和三四年春の争議妥結の際に労働条件の改訂については争議手段に訴えず、平和的に解決するとの約定が成立しているにかかわらず、信義則に反して争議行為に訴え、また、協約第八三条によりその有効期間は昭和三六年六月七日までであるにかかわらず、平和義務に反して労働時間の短縮、年次有給休暇日数の増加等協約の重要な事項の改訂を企て、その目的を達するための争議行為においては手段を選ばなかつた。組合は、まず、三月七日から特定の組合員を指名して無警告に突如としてストに突入させ、徐々に闘争を盛り上げ、五月には全面ストに突入し、本格的に営業所およびバスの不法占拠を行なう等の争議行為として許容された範囲を逸脱した暴力の行使に出てきた。それにもかかわらず、中央労働委員会の仲裁裁定において、組合は控訴会社の最終回答以上のものをほとんどなに一つ獲得できなかつた。このことをもつてしても、組合がいかに強引無謀な闘争を行なつたかを実証してあまりがある。そして、この闘争の初期の段階において組合が支部組合員をして行なわせたのが、前叙の不当な組合活動であつて、支部の責任者たる、正副支部長等を指名ストに入らせ、支部における不当な組合活動を指導、実施させたのである。これが最もはなはだしかつたのが、被控訴人らの指導した車掌支部であつた。

6  控訴会社は、車掌支部において、昭和三四年一二月職場要求と称して被控訴人らの指導により協約に抵触するような諸要求を提出し、これを貫徹する手段として、昭和三五年二月車掌支部を中心とする各支部の車掌公休者二、三〇名を本社玄関前に集め、赤旗を立て、労働歌を合唱し、デモを行なうなどの無軌道な組合活動を行なつたごく最近の事実にかんがみ、とくに本争議に際し争議行為その他の組合活動を口実に不当に企業秩序が乱されることのないよう、かつ、正しい組合活動についての認識を新たにする目的をもつて、全従業員に対し協約、就業規則等を遵守、履行すべきことを三月九日付告示をもつて要請するとともに、職制を通じてこの旨を徹底させてきた。しかるに、被控訴人らはこれを全く無視し、あえて違反行為を指導、実施させた。

7  争議中といえども、平常どおり正常な業務が遂行されている職場において、協約および就業規則に違反しかつ職場秩序を紊乱する違法な組合活動が禁止さるべきことは平時と全く同様である。もし、争議中なる故をもつて被控訴人らが指導、実施させたような違法な組合活動を大目に見なければならないとすれば、争議中であることを口実にあらゆる不当な組合活動を助長する結果となり、ついに企業秩序は全く保たれなくなる。しかるに、被控訴人らは車掌支部における正副支部長であり、支部組合員に対し正しい組合活動のあり方を指導し、みずからその模範となるべき立場にありながら、あえて協約および就業規則を無視し、かつ、上司の指示、命令に反抗し、みずから率先して違法な組合活動を指導し、実施させたもので、これを放置するときは、一般組合員たる従業員に対しきわめて重大な悪影響を及ぼすといわねばならない。

8  被控訴人らは、昭和三五年三月二一日控訴会社の許可を受けず、その警告、制止に反して職場大会を開き、職場秩序を乱し、業務を妨害したことを理由に出勤停止処分を受けながら、なんら反省することもなく、出勤停止期間中はもちろん、その後においても、同様な不法集会を反覆、実施させた。これと同様な不法集会は他の支部でも行なわれたが、責任者の処分後は許可のない不法集会を強行することはなかつた。被控訴人らが出勤停止処分後も、同様な違反行為を反覆、継続したことは、出勤停止処分をもつてしてはもはやなんらの反省を期待することもできなかつたことを事実をもつて証明したものである。このような状態を控訴会社が放置しなければならないとすれば、企業秩序は全く保たれなくなり、上司の指示、命令も行なわれなくなるというべきである。したがつて、懲戒解雇をもつて臨み、企業外に排除したことは全くやむをえない措置である。もつとも、就業規則第一九九条には出勤停止よりも重く、懲戒解雇より軽い処分として降格、降位が定められているが、被控訴人らには降位すべき職位(役付)なく、ただ降格については被控訴人らが「雇」であるから、「傭」に降格する余地がないわけではないが、従来の慣行として車掌には降格の余地はないものとされてきた。それ故懲戒解雇より軽い処分に付する余地は全くなかつたというべきである。

9  被控訴人らは解雇後も引き続き企業秩序を破壊する違法な争議行為を積極的に行なつた。被控訴人阿保は、昭和三五年五月三一日器物毀棄の現行犯で逮捕されたことすらあつた。これらの事実は被控訴人らがいかに企業秩序の破壊者であつたか、また従業員として不適格性を有していたかを如実に示すものである。

10  今次争議を解決するにあたつて、中央労働委員会の仲裁裁定が、争議に関連する事由により懲戒解雇となつた二〇名のうちから、被解雇者を被控訴人両名を含む七名に限定した事情も本件の情状判断にしんしやくすべきである。

以上のとおり本件解雇は正当であり、就業規則第二〇九条第二項ただし書を適用してまで懲戒解雇より軽い処分に付する余地は全くなかつたというべきである。

(四)  不当労働行為ではない。

1  組合の決定した職場闘争の運動方針にもとづく各支部の職場要求は、各支部が各営業所長との間で話をとり決めようとするもので、実質的には団体交渉の申入れであるが、そもそも、職場闘争は、組合が各支部ごとに本部に依存しない支部独自の闘争を組ませ、実行させたものであつて、これは本来協約上許されない不当な闘争であり、また職場要求の両当事者には団体交渉の正当な代表資格がないことからいつて、控訴会社としては、これを正面からとり上げることのできなかつたものである。しかし、控訴会社は事態収拾のため極力善処しようとした。車掌支部の職場要求については、昭和三五年二月一一日、一二日の両日にわたり組合側交渉委員と話合を行なつたが、この間車掌支部を中心とする各支部の車掌が前叙(三)の6記載のような無軌道な行動に出た。その無軌道ぶりがあまりにもはなはだしかつたので、車掌支部はいわゆる全学連の異名をとるほどであつた。

2  控訴会社が第二組合の結成を指導、援助した事実は全くない。組合の分裂と第二組合(弘南バス全労働組合)の誕生は、組合執行部が今次争議を強引に押し進めた結果であつた。このことは執行部自身において、かねて今次争議で無理な闘争をすれば、昭和二九年、同三二年の分裂に次いで、三度目の分裂を招くとして自己批判していたところである。また、第二組合結成の声明書によれば、組合が闘争至上主義的な幹部の指導理念にもとづき、控訴会社の現実の事業経営の実情を無視した賃上げ闘争および法的に疑義のある協約闘争を公益事業の使命を全く無視して強引に押し進めたことに対し執行部に反省を求めたが、全然省みられなかつたので、同志が集団的に脱退し、これと袂を分かつて新組合の結成に踏み切つたものであることがはつきりしている。また、控訴会社が両組合を差別して取り扱つた事実も全くない。控訴会社が第二組合に対し組合集会のため会社施設の使用を許可したのは、昭和三五年四月一一日の一回だけである。これは弘前営業所待合室で午後七時から行なわれた組合大会であつたが、控訴会社は前叙の従来の方針にもとづいて許可したものである。

当事者双方の疏明関係<省略>

理由

一  控訴会社は一般乗合旅客自動車運送事業を営むことを目的とする株式会社であること、被控訴人小野は昭和三〇年三月控訴会社に雇用され、車掌として弘前営業所に勤務し、組合の組合員であり、昭和三四年七月以降車掌支部の支部長の職にある者であること、被控訴人阿保は昭和三〇年九月控訴会社に雇用され、同じく車掌として右営業所に勤務し、組合の組合員であり、昭和三四年六月以降車掌支部の副支部長の職にある者であること、控訴会社は、昭和三五年四月一五日付で、被控訴人らに対し、同人らには別紙一記載の(一)の(1)、(2)、(3)および(二)の懲戒事由があり、これは控訴会社就業規則第二〇八条第一三号、第一九号および第二〇号に該当するとして、同規則第一九五条第二項を適用し懲戒解雇の意思表示をしたことは、当事者間に争いのないところである。

二  協約第二九条違反等の主張の当否

控訴会社が昭和三五年三月九日告示を発表し、同月一七日組合に対し通告を発したこと、同年三月七日以降組合が指名ストを実施したことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない疏甲第一、第二号証、同第八号証、同第九ないし第一二号証、同第一七、同第二五、同第二六、同第二八号証の各一、二、同第三二ないし第三五号証、疏乙第一号証の五、同第二号証の二、同第五号証の八、九、同第三〇号証の一ないし三、同第三一、第三二号証、同第三六号証、同第四六号証の一、二、同第四七号証の一、二、三、同第四八、第四九号証、同第五〇号証、同第五九号証の一、二、同第六三号証、原審および当審証人佐藤春雄の証言(当審分は第一回に限る。)、当審証人木村哲蔵の証言の一部を総合すると、つぎの事実が疏明される。すなわち、

1  昭和三三年三月一八日に効力を生じ本件解雇当時も有効に存続していた協約の第二九条には、「会社は組合員の昇格賞罰に関しては組合と協議の上決める。但し、懲戒解雇の決定については協議が整わない場合は労働委員会の斡旋若しくは調停に付することができる。」との条項があり、これと全く同一の協議条項が昭和三二年六月八日発効の労働協約(有効期間二年)にすでに採用されており、右第二九条本文と同一の条項は、遅くとも、昭和二七年一二月一日発効の労働協約からおかれていた。そして、これらの条項にもとづく協議手続は、控訴会社においてその就業規則第一九四条に定める賞罰委員会の答申を経て、もしくは同第一九五条第二項によりその答申を経ないで懲戒解雇処分相当と内定した事案については、内定するについて参考とした賞罰委員会の答申が数個の意見に分かれているときであつても、まず、被懲戒者、懲戒事由等の理由を附した書面を組合に送付して懲戒解雇処分の適否についての組合の意見を照会し、これに対し組合は書面をもつて回答し、もし労使の意見の一致をみなければ、さらに書面の交換による協議を反覆、続行するか、または、組合から控訴会社に対し団体交渉の要求があるときは、これによりはじめて協議の方法を右のような書面協議から団体交渉に変更するのが慣行となつていた。そして、右二九条ただし書と同旨の条項がまだ設けられていなかつた当時、団体交渉によつても懲戒解雇処分の適否に関する労使の見解が一致に達しないため、組合が労働委員会に対し調停を申請した事例また斡旋を申請した事例があつた。

2  組合は、昭和三五年一月頃賃上げおよび協約改訂の要求を控訴会社に提出し、団体交渉を重ねたが、妥結に達しないため、同年三月七日賃上げ要求について運転部門以外の指名ストに突入し、同月二一日からはこの指名ストに協約改訂の目的をも含ませ、指名ストによる柔軟戦術を同年五月五日まで実施した。しかし、指名ストには運転部門以外の少数の組合員が参加したにとどまつたので、控訴会社の業務はほとんど平常どおり運営された。他方、控訴会社は、右指名ストに対処するため、同月九日別紙二記載の告示を発表し、さらに、同月一七日には組合に対し「懲戒事犯発生者に対する指導の迅速化並びに膺懲遅延による悪影響防止のために、今後、当該事犯者に対しては就業規則第一九五条後文を適用して処置するものもあるから、念のため申し送る。」との通告を発した。

3  控訴会社は、本件懲戒解雇事案について、就業規則第一九五条第二項を適用し、賞罰委員会の答申を経ないで懲戒解雇が相当であると内定したうえ、前叙(一)の慣行にしたがい、昭和三五年四月七日、被懲戒者被控訴人ら、懲戒事由別紙一と同様、処分の内容懲戒解雇等の記載ある書面を添附した照会書をもつて組合に対し意見を求めたが、これに対し組合が同月八日なした回答書には、「車掌支部の小野慶三、阿保勉両正副支部長の組合活動に対する解雇は不当労働行為であり、且つ又現労働協約に違反するので、解雇は無効である。」とあるだけで、はなはだ具体性に乏しいので、控訴会社は同月九日再度組合に対し具体的事由の釈明および協議意思の有無を書面をもつて照会したが、組合はこれに対しても右と同趣旨の回答を繰り返えしたにすぎず、いぜん具体的事由を明らかにせず、団体交渉を要求する態度をも示さないので、控訴会社は組合には協議の意思はないものと認め、被控訴人両名に対し本件懲戒解雇処分の措置をとつた。

以上の事実が疏明され、疏甲第一三号証、同第一六号証、当審証人木村哲蔵の証言中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はなく、被控訴人ら主張のような慣行は、右措信しない証拠を除き、これを疏明するに足りる証拠はない。

協約第二九条本文の「賞罰」には懲戒解雇処分が含まれること明らかであり、同条は、当該処分に関する限りでは、会社の人事の適正を確保し、組合員の従業員たる地位の安固を図るため、組合をして会社の人事権の行使に参加させ、もつてその人事権の恣意的行使を制限しようとする経営参加条項であつて、労働契約関係の終了という労働者の待遇に関する最重要事項にかかわりをもつものであるから、同条の目的、趣旨に徴し、同条の定める協議手続に違反する懲戒解雇処分は債務不履行の責任を生じさせるにとどまらず、当該処分自体も無効となるものと解するのが相当である。そして、懲戒解雇事案について同条により要求される協議の方法、程度は、同条の文理、運用上の慣行などに照らすと、まず、労資相互の書面の交換によるいわゆる書面協議を行ない、もしその中途で組合から団体交渉の要求があれば、団体交渉の場において協議を続行し、それでも意見の一致をみず、労資のいずれか一方から労働委員会に対する調停もしくは斡旋の申請があれば、それら手続の場において協議を進行すべく、協議するにあたつては、右いずれの段階においても、労資双方とも誠意をもつてその主張を明らかにし合理的な妥結点に達する努力を払うことを要するものというべく、もし組合において右いずれかの段階で正当な理由がないのに協議に応じないときは、会社はさらに協議を続行すべき義務を免れ、協議義務は尽くされたものとして、懲戒権を発動して解雇することが許されるものと解する。この点につき、被控訴人らは、協議不調の場合は協約第二九条ただし書により当然に労働委員会の斡旋、調停に付され、控訴会社は一方的に解雇を決定し得ないと主張するが、右ただし書は、労資の一方が必要ありと認めた場合、協議手続の一環として斡旋または調停を申請することができ、もしその申請があつたときは、斡旋または調停の手続において労資双方誠意をもつて協議をなすべきことを協約上の義務と定めたものというべく、協議不調の場合に当然に斡旋または調停を申請すべき義務を負担させる趣旨のものと解することはできないから、右被控訴人らの主張は採用の限りではない。

そこで、本件の協議手続の適否をみるに、控訴会社が昭和三五年四月七日なした書面協議の申入れは従来の慣行にしたがう妥当な措置と認められる。被控訴人らは、右協議申入れが被控訴人ら主張の従来の慣行に違反していること、同年三月九日付告示、同月一七日付通告、本件懲戒解雇事案における賞罰委員会の答申手続の省略からみて、控訴会社には当初から協議を尽くす意思は毛頭なかつたと主張するけれども、被控訴人ら主張の慣行が認められないことは前叙認定のとおりであり、右告示は協約第二九条による協議手続とは別個のことがらであり、右通告は将来就業規則第一九五条第二項を適用する場合もあることを従業員一般に警告したもので、画一的に同項を適用することを表明したものではないばかりか、前掲疏甲第二号証によると、就業規則第一九五条第二項は、賞罰委員会の答申不経由の要件を、「賞罰に該当する事項が余りにも明白であり且緊急を要する場合」としていることが疏明されるが、組合活動または争議行為であつても、懲戒に該当することがあまりにも明白であり、かつ、緊急を要する場合もありうることはもちろんで、右第一九五条第二項を正当に適用できる事態発生の可能性を否定することはできないから、右告示、通告はいずれも控訴会社の協議意思の当初からの不存在を推断する資料とはなしがたい。進んで、賞罰委員会の答申手続省略の点についてみると、前掲疏甲第二号証、当審証人佐藤春雄の証言(第一回)によると、就業規則第一九四条第一項は「会社は賞罰執行の諮問機関として賞罰委員会を設け、その答申に基きこれを行う。」、その第二項は「賞罰委員会の構成及び運営については別に定める賞罰委員会規程による。」と規定し、賞罰委員会規程によると、同委員会は委員長および委員九名をもつて構成され、内委員長および委員五名は会社側、他の委員四名は組合側であり、同委員会の答申は控訴会社における懲戒処分の選択、内定の参考に供されているにすぎないことが疏明されるから、賞罰委員会は諮問機関であつて、控訴会社に対する助言的機能を果たすもので、同会社の意思決定を拘束する性質のものではないと認めるのが相当である(被控訴人らは、協約第二九条は就業規則第一九四条に優先すると主張するが、懲戒解雇処分についていえば、協約第二九条による協議制度は労資対等の協議を媒介とする組合員の従業員たる地位の保障的機能を、就業規則第一九四条は会社の意思決定の助言的機能を果たすもので、両者はそれぞれ存在意義を異にし、矛盾、抵触するものではなく、また優先、劣後の関係に立つものでもない。)ばかりでなく、成立に争いのない疏乙第七号証、原審証人佐藤春雄の証言によると、当時組合は賞罰委員会に関する就業規則第一九四条の規定を無効視し、控訴会社からの賞罰委員会の委員の推薦要求に応じなかつたことが疏明されるから、仮に控訴会社が就業規則第一九五条第二項の適用を誤り、賞罰委員会の答申を経由しなかつたとしても、これをもつて控訴会社には当初から組合との協議意思がなかつたものとみることはできない。結局、右被控訴人らの主張は理由がない。しかるに、組合は控訴会社の四月七日の照会に対し抽象的な回答を寄せたのみで、不当労働行為および協約違反の主張の具体的根拠を示さず、控訴会社からの再度の照会にもかかわらず、いぜんその態度を改めようとしないばかりか、従来の慣行にしたがい団体交渉を要求することもなかつたのである。被控訴人らは、団体交渉により協約第二九条の協議を行なうことを準備していたと主張するが、仮にそのような準備をしていたとしても、そのことを控訴会社に了知させる手段を講じたことまたはその準備を控訴会社が知つていたことはこれを疏明する証拠が全くないから、協議手続の履践の有無を判断するには、右被控訴人ら主張の準備は無に等しいといわねばならない。そうすると、組合は合理的妥結点を求めて協議を行なう努力を著しく欠き、正当の理由なくして協議に応ずる態度に出なかつたものと評すべきであるから、控訴会社としてはさらに協議を続行すべき義務を免れ、その協議義務を尽くしたものといわねばならない。したがつて、被控訴人両名に対する本件懲戒解雇の意思表示は協約第二九条に定める協議手続を履践したうえなされたものというべく、被控訴人らの協約第二九条違反の主張は理由がない。

さらに、被控訴人らは協約第二八条は懲戒解雇に適用があり、本件懲戒解雇は同条に違反すると主張するが、前掲疏甲第一号証によると、同条は「会社は組合員の人事異動については事前に組合に内示し組合の意見を尊重して行う。」と定めていることが疏明される。協約第二九条が前叙のように懲戒解雇に関する協議手続を定めている以上、右二八条の「人事異動」には懲戒解雇を含まない趣旨であること明らかであるから、同条違反の有無を本件懲戒解雇について問題にする余地はない。

なお、被控訴人らは控訴会社は就業規則第一九五条後文を濫用して賞罰委員会の答申を省略したと主張するが、仮にそうであるとしても、賞罰委員会の答申の性質が前叙説明のとおりである以上、本件懲戒解雇処分を無効とするに足りない。

三  本件解雇事由が不当で、かつ、理由がないとの主張の当否

前掲疏甲第二号証によると、控訴会社の就業規則第二〇八条は「従業員が第一二条に定める基本義務の完全な履行を怠り、左の各号の一に該当する行為を行つたときは懲戒に処する。」と定め、同条第一三号は「故意に又しばしばこの規則及び会社が定める他の規則、規程および指示、達示事項に従わないとき。」、同条第一九号は「みだりに会社の職制を中傷又は誹謗し若しくは職制に対して反抗したとき。」、同条第二〇号は「許可なく会社施設内において秩序を乱すおそれのある集会、放送、宣伝文書の配布、貼布、掲示その他これに類する行為を行つたとき。」と規定し、就業規則第一二条は「従業員は労働契約の本旨に従い左の事項を守らなければならない。一、従業員は常に各自の職責を自覚し誠実にこれを遂行すると共に進んで作業能率の向上に努めなければならない。二、従業員は会社の定める諸規則、諸規程を守り、職務上の指示に服し、互いに協力して会社の秩序維持に努めなければならない。三、従業員は会社の機械、設備、資材等の愛護節約に努め、いやしくも毀損、滅失若しくは業務以外の目的に利用してはならない。四、従業員は会社の秘密を洩らし又は会社業務と同種の営業を営み若しくは会社の名義、地位を私の利益のために利用する等会社の不利益となる行為をしてはならない。五、従業員は会社の信用を傷つけ又は名誉を損うような行為を行つてはならない。」と定めていることが疏明される。よつて、本件各懲戒解雇事由について、順次判断を加えることにする。

(一)  組合文書の掲示等(解雇事由(一)の(1))について

車掌控室内の掲示板一個を組合用掲示板として使用することが許されていたこと、昭和三五年三月一九日斉藤武文ほか六九名の者が組合から脱退し、第二組合を結成したことは当事者間に争いがなく、前掲疏乙第二号証の二、成立に争いのない疏甲第二九号証、疏乙第三号証の二ないし七および九、「バカ」云々のビラが車掌控室に貼り出されていたとの部分を除き成立に争いがなく、右部分の成立は当審証人佐藤春雄の証言(第一回)によつて認めうる疏乙第一六号証、弁論の全趣旨によつて成立を認めうる疏乙第四号証、原審証人米沢進の証言、当審証人佐藤春雄(第一回)、同佐藤正実の各証言の一部、当審における被控訴人小野慶三本人尋問の結果(第一回)の一部を総合すると、つぎの事実が疏明される。すなわち

1  被控訴人らは、共同して、昭和三五年三月一五日頃から同年四月上旬頃までの期間、車掌控室において、右組合用掲示板以外の箇所に組合文書、旗等を常時約四枚程度掲示し、その掲示につき上司の運転係長米沢進や守衛長原子益雄から警告、制止を受けたが、これにしたがわず、右掲示を継続した。

2  車掌控室内の組合用掲示板以外の箇所に組合文書、クラブ活動文書を掲示するについては、過去数年間にわたり、控訴会社の許可を受けたことなく、これに対し控訴会社はなんらの警告、制止をもなさず、黙認、放置してきたために、組合文書の無許可掲示を当然視する慣行が成立していたところ、組合が昭和三五年三月七日指名ストを実施するや、控訴会社は同月九日付告示をもつて右慣行を否認し、組合用掲示板以外の箇所に組合文書を掲示することを禁止し、同月一九日には組合が分裂し、第二組合の結成をみたので、被控訴人らは、一方では右告示を不当とし、他方では組合の団結の維持、強化のため宣伝活動の緊急の必要があると考え、右のような組合文書、旗等の掲示をした。そして、被控訴人らが掲示した組合文書等の内容は、主として、組合の団結を呼びかける文書、他組合からの激励文書であつたが、なかには控訴会社幹部を揶揄するものも多少あつた。しかし、車掌控室は控訴会社弘前営業所の二階にあつて、乗客や一般公衆の目には直接触れない場所であり、また右組合文書等の掲示によつて控訴会社の業務の運営が阻害されることは全くなかつた。

3  車掌控室と点呼執行者の執務する事務室との間はガラス建具で仕切られ、ガラス戸附きの出入口一ケ所と窓口三ケ所が設けられており、車掌控室と事務室との連絡通路には廊下を経由するものと右出入口によるものとの二つがあり、午後七時以降は右窓口のうち一ケ所だけが使用され他は閉鎖されるところ、昭和三五年三月三一日、翌月一日、二日の三日間、毎日午後七時二〇分頃から車掌支部の職場集会が開催されたが、その際、控訴会社は臨時守衛として雇傭した香具師約一〇名を右事務室に配置し、同人らをして事務室から右集会を睥睨させ、参加組合員ことに女子組合員に心理的威圧を与えたので、被控訴人らは、これを排除し集会の円滑な進行を期する目的で、車掌控室の壁から取りはずした組合文書や支部旗を、使用中の窓口一ケ所を除き、他の窓口、ガラス建具、ガラス戸に掲示し、さらにガラス戸には「通行禁」のビラを下げ、事務室からの透視を遮断したので、点呼執行者の運行管理事務にかなりの支障を与えた。

以上の事実が疏明され、疏乙第四号証、当審証人佐藤春雄(第一回)、同佐藤正実の各証言、当審における被控訴人小野慶三本人尋問の結果(第一回)中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。もつとも、前掲疏乙第四号証、当審における被控訴人本人尋問の結果によると、昭和三五年四月一二日車掌控室で守衛長原子正雄が組合用掲示板以外の箇所の掲示物を職権で除去しようとした際、被控訴人小野が「俺は死んでもよい。ぶち殺してやる。」といつて同人を車掌控室の外に押し出したことが疏明されるが、このことは前叙認定の協約第二九条による協議手続終了後のことであつて、本件解雇事由とは別個のことがらであり、協議手続を経由していないから、これを本件解雇事由としてしんしやくすることは許されない。

前掲疏甲第一号証、同第二号証によると、協約第一六条は「組合が組合員のためにする公示の文書及びその他の掲示は組合事務所並びに会社、組合協議した場所で行う。」、就業規則第八条は「就業時間又は会社管理の敷地および施設内における組合活動については特に労働協約で便宜を認めた場合のほかは許されない。」、同第五八条は「社内において業務外の集会、放送、宣伝若しくは文書の配布掲示その他これに類する行為をするときは責任者はその目的、方法、内容、参加者その他必要な事項を届出(様式八)て予め許可を受けなければならない。」と定めていることが疏明されるから、右認定の被控訴人らの組合文書等の不許可掲示は協約第一六条、就業規則第八条、第五八条に違反し、就業規則第二〇八条第一三号、第二〇号に、警告、制止にしたがわないで掲示を継続した行為は就業規則第二〇八条第一九号にそれぞれ形式的には該当するようにみえる。

しかしながら、組合文書の無許可掲示の許容が慣行化している場合には、使用者において、無許可掲示が慣行の範囲を逸脱して使用者の業務を妨害しまたは妨害するおそれがあることその他の合理的理由なくして、一方的に慣行を否認し、無許可組合文書の掲示を禁止することは、組合活動を不当に抑圧するもので、組合運営の支配、介入であり、また施設管理権を濫用するものというべく、許されないところであるから、右禁止にかかわらず、組合文書を掲示しても、その掲示は、従来の慣行の範囲内にとどまる限り、正当な組合活動であり、使用者においてもこれを受認すべきであると解するのが相当である。

本件をみるに、控訴会社は、組合が昭和三五年三月七日指名ストに突入するや、同月九日付告示をもつて組合文書の無許可掲示を禁止し、その無許可掲示許容の慣行を否認する挙に出た。控訴会社は、右告示を出したのは、すでに以前から職場秩序が乱れ始め、過去の事例にかんがみるときは、このまま放置すれば、職場秩序は益益収拾しがたい困乱状態に陥ること必至であつたからであり、事実その後指名スト参加者の職場内立入、不法職場集会、ビラの不法掲示、労働歌の高唱が行なわれ、職場秩序は極度に乱され業務は妨害されるにいたつたのであつて、右告示は当然の措置であつたと主張するが、右告示当時において無許可掲示許容の慣行を否認しなければ職場秩序は益々拾収しがたい困乱状態に陥ること必至の状勢にあつたことはこれを疏明するに足りる証拠なく、その他当時右慣行を否認すべき合理的理由の存在したことの疏明もなく、右告示後生起した組合活動は告示その他の会社側の行為との相関関係において考察すべく、被控訴人らのした組合活動は前叙および後叙の認定、説示のとおりであつて告示当時における右慣行否認の合理的理由の存在を推測させるに足りず、その他指名スト参加者の告示後の組合活動であつてかような推測を可能にするものの存在したことの疏明もないから、右控訴会社の主張をもつては右慣行否認を当然の措置とすることはできない。そうすると、控訴会社は、三月九日付告示をもつて組合文書無許可掲示許容の慣行を合理的な理由なくして否認したものというべく、他方、組合にとつては、当時指名スト突入により団結の維持、強化のための宣伝活動の必要が著しく高まつた時期であり、その後三月一九日には組合の分裂、第二組合の結成をみ、右宣伝活動の必要はいよいよ増加しているのであるから、右慣行否認は組合活動を不当に抑圧し、組合の運営に支配、介入するものであり、また施設管理権の濫用であつて許されないといわねばならない。そして、被控訴人らのした不許可掲示は、三月三一日、翌月一日、二日の職場集会の場合を除き、控訴会社の業務の運営を阻害したことは全くなく、掲示物の内容は、穏当を欠くものが多少ないではないが、大部分は組合の宣伝活動の埒内にあるものであり、掲示の場所は外部の者の目に触れない箇所である。控訴会社は、本件解雇事由とされている被控訴人らの組合活動の重要な目的は、故意に規律に違反し、秩序を乱し、業務を妨害し、上司の指示、命令に違反し、さらには、控訴会社および職制の権威、信用を失墜させることによつて不当に組合の団結を誇示することにあり、そのことは、不当に高価な賃上げを目的とし、平和義務および平和条項に違反する等の今回の争議の本質からみて明らかであると主張するが、今回の争議における賃上げ要求が一人平均一、四三〇円の増額であることは当事者間に争いがなく、当審証人木村哲蔵の証言および同証言によつて成立を認めうる疏甲第二二号証によると、右賃上要求額は当時の東北関係のバス、私鉄会社七社における組合の要求額のいずれよりも低額であつたことが疏明され、しかも賃上げ交渉には通常駈引的要素を伴うことでもあるから、仮に控訴会社の経営状態がその主張のとおりであるとしても、右賃上要求が不当に高価なものとはいえず、また、仮に右争議が控訴会社の主張するように平和義務および平和条項に違反するものであつたとしても、被控訴人らがこの争議の企画、指令に関与したことの疏明なく、同人らは車掌支部の役員にすぎないから、被控訴人らの右組合活動に控訴会社主張のような目的があつたとなすことを得ず(なお、今回の争議が右の意味で違法であるというだけの理由で、被控訴人らの右組合活動が当然に違法となるものでもない。)、さらに、控訴会社主張のバスの不法占拠等の違法な争議行為が昭和三五年五月六日以降発生したことは成立に争いのない疏乙第一〇号証、同第六三号証によつて疏明されるが、争議は労資の対抗関係の推移、変動により流動発展するものであるから、右をもつても争議の初期の段階に属する被控訴人らの右組合活動に控訴会社主張の目的のあつたことを推認することを得ず、その他控訴会社主張の目的の存在はこれを疏明するに足りる証拠がない。そうだとすると、被控訴人らの右無許可掲示はおおむね従来の慣行の範囲内にあるものというべく、これを懲戒解雇の対象となすことは許されない。また、慣行の範囲内における無許可掲示は控訴会社においてこれを受認すべきであるから、被控訴人らが運転係長らの警告、制止にしたがわず、無許可掲示を継続したことは、これまた懲戒解雇事由となすことは許されない。

もつとも、昭和三五年三月三十一日、翌月一日、二日の職場集会において被控訴人らのした組合文書、支部旗等の掲示が従来の慣行の範囲を逸脱するものであることはもちろんであるが、これは全く控訴会社の誘発により惹起された防衛措置であり、懲戒解雇事由に値するほどの過剰行為とは認められないから、控訴会社において被控訴人らの右行為をみずから誘発しておきながら、これを懲戒解雇の対象とすることは信義則上到底許されるところではないといわねばならない。

(二)  不許可集会(解雇事由(一)の(2))について

不法な職場集会はここ二、三年間ほとんど全く行なわれたことがないこと、被控訴人らは昭和三五年三月二一日、二二日、二三日の三日間ならびに同月三一日、四月一日、二日の三日間車掌控室で車掌支部の職場集会を開いたこと、その職場集会の際、点呼執行者から警告文を手渡され、また点呼執行者から二、三回、弘前営業所長から一、二回口頭で警告を受けたこと、弘南バス労働会館が存在することは当事者間に争いがない。前掲疏甲第二号証(同証記載の就業規則第六六条)、同第二九号証、疏乙第二号証の二、同第三号証の九、成立に争いのない疏甲第一八号証の一、二、三、同第三七号証の一、二、疏乙第二四号証の一、二、同第二五号証の一ないし一八、同第五三号証の一、同第六二号証の一ないし四四、当審証人佐藤春雄の証言(第二回)によつて成立を認めうる疏乙第五八号証の一、二、三、原審証人米沢進、当審証人木村哲蔵、当審証人佐藤春雄(第一、二回)の各証言の一部、当審における被控訴人小野慶三本人尋問の結果(第一、二回)を総合すると、つぎの事実が疏明される。すなわち、

1  被控訴人らは、共同して、昭和三五年三月二一日、二二日、二三日の三日間および同月三一日、翌月一日、二日の三日間、毎日、いずれも、午後七時二〇分頃から午後九時頃までの約一時間三〇分にわたり、控訴会社の許可を受けないで、予備者(本番勤務の車掌の万一の事故に備えて待機する予備の車掌)の待機する車掌控室に組合員約五〇名を集めて車掌支部の職場集会を開催した。

2  車掌控室は、米沢進が弘前支部長をしていた時代においては、前示就業規則第八条、第五八条の規定にかかわらず、控訴会社の黙認のもとに無許可で同支部の職場集会に使用されていたが、昭和三三年からは右規定にしたがい控訴会社の許可を得て使用されるようになつた。ところが、昭和三四年三月頃から再び右無許可職場集会黙認の状態に復帰し、昭和三四年六月右弘前支部から車掌職にある組合員が分離し、車掌支部が新設されたのちも、このことに変りはなく、車掌支部は、昭和三四年八月以降翌年二月までの間に六回、一回について三日間(車掌控室は車掌支部に所属する組合員約一六〇名を一時に収容するに足りず、かつ、車掌の出勤は時差出勤となつているため、一回の職場集会について三日間、三度にわたり集会を開き、車掌支部組合員に参加の機会を与えるのを常としていた。)、いずれも控訴会社の許可を受けることなく、午後七時以後車掌控室で職場集会を開いたが、控訴会社はこれを黙認し、なんらの警告、制止を行なうことはなかつた。ところが、控訴会社は、組合の指名スト突入後、昭和三五年三月九日告示をもつて会社施設を利用する無許可職場集会を禁止し、右黙認の態度を改めるにいたつたので、被控訴人小野は、控訴会社との無用の紛争を避けるため、職場集会を昭和三五年三月二一日、二二日、二三日の三日間、毎日午後七時以降開催するため車掌控室の使用を許可されたい旨の使用許可願を、さらに、職場集会を同年三月三一日、翌月一日、二日の三日間毎日午後七時以降開催するについて右同様の使用許可願を、それぞれ、あらかじめ、控訴会社に提出するとともに、車掌支部組合員に対し右職場集会の開催をそれぞれあらかじめ通知したところ、同会社は前者の使用許可願については同年三月二一日昼頃、後者のそれについては同月三一日午後いずれも不許可とする旨の通知をしたが、いずれの不許可についてもその理由を明らかにせず、弘前営業所のすぐ近くにある弘南バス労働会館(昭和三二年建設された。)を使用することを被控訴人らに要請した。被控訴人らは、当時第二組合が結成され、その後も組合からの脱退者が後を絶たず、車掌支部の団結と組織防衛のため職場集会開催の必要があり、また、従来車掌控室で職場集会を開いてきたのに、その場所を変更することは参加者の減少などの不利益を招くおそれがあり、右不許可は不当であると考え、前叙の職場集会を開いた。その職場集会においては、組合本部役員からの団体交渉および争議経過の報告ならびにその役員との質疑応答が平穏のうちに行なわれた。

3  車掌控室は、車掌の乗車準備、休憩、食事、日報作成、点呼執行者からの指示受領、予備者の待機等に使用され、ラジオは平常午前五時頃から午後一〇時頃までつけつぱなしにされている。午後七時以降は、車掌控室は、主として、乗務を終えた車掌の日報作成、点呼執行者からの指示受領、予備者六名の待機の場所として使用され、車掌控室に隣接する事務所の窓口は一ケ所を除き閉鎖され、その一ケ所の窓口では点呼執行者一名が運行管理事務に従事し、弘前営業所待合室は午後七時には閉鎖され、その後は同待合室での従業員によるブラスバンドの練習も許される。車掌は、乗務終了後、バスの清掃、計算室における運賃の精算、車掌控室における日報作成等の終業整理を冬期(一一月二一日から三月三一日まで。)は三〇分間、夏期(四月一日から一一月二〇日まで。)は二〇分間の時間内になすこととされており、午後七時二〇分から午後九時までの間に乗務を終え終業整理に入る車掌およびすでに乗務を終えてなお終業整理中の車掌は、昭和三五年三月二一日、二二日、二三日においては、市内線一四名、郡部線八名合計二二名で、弘前営業所で一日間に乗務する車掌全員九六名の約二二%にあたり、同年三月三一日においては、市内線一四名、郡部線七名合計二一名で、右車掌全員の約二二%にあたり、同年四月一日、二日においては、市内線一〇名、郡部線五名合計一五名で、右車掌全員の約一六%にあたる。ところで、点呼執行者の運行管理事務、乗務終了車掌の終業整理、予備者の待機等の控訴会社業務は、昭和三五年三月二一日、二二日、二三日の職場集会によつてはなんらの支障もきたさず、同年三月三一日、翌月一日、二日の職場集会の際は、前叙(一)認定のように被控訴人らが臨時守衛に対する防衛として点呼執行者の執務する事務室の窓口一ケ所を除き他は組合文書、支部旗を掲示し、事務室と車掌控室とを連絡するガラス戸に「通行禁」のビラを下げ、事務室からの透視を遮断したため、点呼執行者による運行管理事務の遂行をかなり阻害したが、一応その事務も実施され、その他の右会社業務にはさしたる支障を生じなかつた。そして、右ガラス戸の開閉は自由のままに放置されていた。

以上の事実が疏明され、疏乙第三号証の一、同第四号証、同第六号証、同第五二号証の一、原審証人米沢進、当審証人佐藤春雄(第一回)、同佐藤正実、同木村哲蔵の各証言中右認定に反する部分は措信できず、また疏乙第五三号証の二、三、四、同第五七号証中に右認定に反する記載部分があるが、当該部分は前掲疏甲第三七号証の一、二、当審証人佐藤春雄の証言(第二回)、当審における被控訴人小野慶三本人尋問の結果(第二回)に照らし措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。控訴会社は、昭和三五年三月三一日、翌月一日、二日の集会の際、被控訴人らは残された窓口に組合員多数をうしろ向きに立たせて完全に封鎖し、また組合員以外の者の出入りを一切禁じ、車掌控室を不法に占拠し、施設管理権を完全に排除したと主張するが、残された窓口に組合員多数をうしろ向きに立たせたとの点についてはその疏明なく、組合員以外の者の出入りを一切禁じたとの点については、前掲疏甲第一八号証の一、二、三、当審証人佐藤春雄の証言(第一回)および同証言によつて成立を認めうる疏乙第八号証によると、昭和三五年三月二二日の職場集会には控訴会社の労務主任が、なんらの妨害を受けずに、列席していることが疏明されることならびに右認定事実に徴し、「通行禁」のビラは臨時守衛に対するものであると推認され、他には、右措信しない疏乙第四号証を除き、右の点を疏明するに足りる証拠はない。そして、「通行禁」のビラの下がつたガラス戸の開閉は自由のままに放置され、車掌控室と事務室との間には他にも前叙(一)認定の廊下を経由する連絡通路があり、点呼執行者の運行管理事務は、かなり阻害されたとはいえ、一応実施されていることでもあるから、被控訴人らが車掌控室を占拠したものとはいえず、また施設管理権を完全に排除したとは認めがたい。

右認定の不許可職場集会中昭和三五年三月二一日のものを除くその余の集会が本件解雇事由とされているが、その集会は前示就業規則第八条、第五八条に違反し、同第二〇八条第一三号、第二〇号に、警告書等にしたがわないで右集会を開催したことは同第二〇八条第一九号にそれぞれ形式的には該当するようにみえる。

しかしながら、使用者が会社施設を使用する無許可の職場集会を黙認する状態を継続してきながら、無許可集会が黙認の範囲を逸脱し使用者の業務を妨害しまたは妨害するおそれがあることその他の合理的理由がないにかかわらず、一方的に右黙認を撤回し、さらに進んで、職場集会のための会社施設の使用許可願を相当の理由なくして許容しないことは、組合活動を不当に抑圧するもので、組合運営の支配、介入であり、また施設管理権を濫用するものであつて許されないところであるから、従来の黙認の範囲内において職場集会が開催される限り、その開催は正当な組合活動であり、使用者においてもこれを受認すべきものであると解する。

本件をみるに、控訴会社は車掌控室での無許可職場集会を約一年にわたり黙認しておきながら、組合の指名ストを契機として昭和三五年三月九日右黙認を撤回する態度に出た。控訴会社は前叙(一)におけると同様に右告示は当然であつたと主張するが、同告示当時において右無許可職場集会の黙認を撤回しなければ職場秩序は益々拾収しがたい困乱状態に陥ること必至の状勢にあつたことはこれを疏明するに足りる証拠なく、その他当時右黙認を撤回すべき合理的理由の存在したことの疏明もなく、右告示後生起した組合活動は告示その他の会社側の行為との相関関係において考察すべく、被控訴人らのした組合活動は前叙および後叙の認定、説示のとおりであつて告示当時における右黙認撤回の合理的理由の存在を推測させるに足りず、その他指名スト参加者の告示後の組合活動であつてかような推測を可能にするものの存在したことの疏明もないから、右控訴会社の主張をもつては右黙認撤回を当然の措置とすることはできず、同黙認撤回は合理的理由なくしてなされたものと認めるのほかはない。しかも、控訴会社は被控訴人小野が右告示にしたがい二回にわたり提出した使用許可願をいずれも許容せず、その理由を明らかにすることもなかつた。控訴会社は、平常時は原則として職場集会を許可するが、争議時は喧噪にわたり、職場秩序を乱すことが著しいから、争議を妥結するか否かを組合員にはかる場合など特別の事情がない限り、会社施設の使用を認めない方針をとつてきたが、ことに今回の争議は組合が強引熾烈な闘争を予定しており、不当な目的で集会を強行することがはつきりしていたので、許可を与えなかつたと主張するが、控訴会社がその主張のような方針をとつてきたことは、成立に争いのない乙第六一号証、当審証人木村哲蔵の証言、当審における被控訴人小野慶三本人尋問の結果(第一回)と比照したやすく措信できない。当審証人佐藤春雄(第一回)、同佐藤正実の各証言を除き、これを疏明するに足りる証拠はない。仮に控訴会社がその主張のような方針をとつてきたとしても、右使用許可願提出当時は、指名スト実施中であつたけれども、控訴会社の業務はほとんど平常どおり運営されていたことは前叙二認定のとおりであり、また、仮に本件使用許可願を許可するとすれば、これにもとづき開催されるであろう職場集会が喧噪にわたり、職場秩序をみだすおそれがあつたことの疏明なく、さらに、組合が今回の争議で強引熾烈な闘争を予定し、不当な目的で集会を強行することがはつきりしていたことの疏明もなく、かえつて、被控訴人らが開催した職場集会は、控訴会社の誘発行為のあつた昭和三五年三月三一日、翌月一日、二日の集会の場合を除き、平穏のうちに行なわれ、そのため控訴会社の業務はなんらの支障もきたさなかつたのであるから、本件の場合を平常時と区別し不許可とする合理的根拠に乏しく、右控訴会社の主張をもつては不許可を正当化することはできない。つぎに、控訴会社は、被控訴人らに対し弘前営業所のすぐ近くにある弘南バス労働会館で職場集会を行なうよう再三要請してきたと主張し、その主張事実を認めうることは前叙認定のとおりであるけれども、車掌支部の職場集会は、弘南バス労働会館があつたにかかわらず、従来職場たる車掌控室で開催されてきたのであるから、職場集会の場所を職場外の右会館に変更することは集会参加の組合員の減少をみるおそれがあるばかりか、車掌支部組合員の団結意思を弱める危険もあり、さらに、控訴会社は昭和三五年三月二一日、二二日、二三日の職場集会については第一日目の昼頃、同年三月三一日、翌月一日、二日の職場集会については第一日目の午後それぞれ不許可の通知をしたのであるから、職場集会の開催を目前に控えたこれらの時期に会場変更を組合員に周知させることは困難であつて、参加組合員減少のおそれは増大し、職場集会開催の効果は相当減殺される危険がある。しかも、当時は指名スト実施中に組合が分裂し、組合ないし車掌支部の団結と組織防衛のため職場集会開催の喫緊の必要がある時期であるから、右会場変更により車掌支部ひいては組合が受けるおそれのある不利益は少なからぬものがあるといわねばならない。これに対し、被控訴人らが控訴会社の許可を受けないで開催した職場集会は、控訴会社の誘発があつた場合のほかは、平穏のうちに進められ、控訴会社の業務になんらの支障を与えなかつたことからみると、控訴会社が被控訴人小野の提出した二回の使用許可願を許可することによつて受けるおそれのある不利益は皆無に近いものであつたといわねばならない。したがつて、控訴会社のした不許可および弘南バス労働会館使用の要請は、相当の理由なくして、車掌支部ないし組合に不利益を強いるものというべく、右控訴会社の主張事実もまた本件不許可の相当の理由とはなしがたい。そうすると、控訴会社は、前叙黙認を合理的理由なくして撤回し、さらに、被控訴人小野が二回にわたり提出した使用許可願を相当の理由なくして不許可としたものというべく、そのことは理由なくして組合活動に不利益を強い、これを不当に圧迫するもので、組合運営の支配、介入であり、また施設管理権を濫用するものであつて許されないものといわねばならない。そして、三月二一日、二二日、二三日の職場集会は平穏のうちに行なわれ、控訴会社の業務に支障を与えることはなかつたのであるから、従来の黙認の範囲を越えるものではないものというべく、右二二日、二三日の職場集会開催を懲戒解雇をもつて処断することは許されない。もつとも、三月三一日、翌月一日、二日の職場集会は、右黙認の範囲を逸脱すること明らかであるが、これは控訴会社の誘発行為により惹起された防衛行為であり、懲戒解雇に値するほどの過剰行為とは認められないので、これまた信義則上懲戒解雇の対象とすることは許されない。さらに、無許可集会が従来の黙認の範囲内にとどまる限り、控訴会社はこれを受認すべきであるから、被控訴人らが控訴会社の警告書等にしたがわないで三月二二日、二三日の職場集会を開催したとしても、これをもつて懲戒解雇事由となすことは許されず、また三月三一日、翌月一日、二日の職場集会が従来の黙認の範囲を越えたのは控訴会社の誘発によるものであるから、控訴会社の警告書等にしたがわないでこれを開催したからといつて、懲戒解雇に処することはこれまた信義上許されないといわねばならない。

(三)  労働歌の高唱(解雇事由(一)の(3))について

前掲疏甲第二号証(同証記載の就業規則第六六条)、成立に争いのない疏乙第三号証の一〇、原審証人米沢進の証言によつて成立を認めうる疏乙第三号証の一、原審証人米沢進、当審証人佐藤正実、同木村哲蔵の各証言、当審における被控訴人小野慶三本人尋問の結果(第一回)の一部を総合すると、つぎの事実が疏明される。すなわち、

1  組合の指名スト実施中に第二組合が結成され、労働歌の合唱などにより車掌支部の団結と組織防衛を図る緊急の必要があつたので、被控訴人らは、左記2の場合のほか、共同して、昭和三五年三月二五日頃から翌月上旬頃までの間、しばしば、運転手、車掌以外の一般従業員の勤務時間中またはその他の時間に、予備者が待機し、また休憩中の車掌が現在する車掌控室で、これらの車掌支部組合員をして労働歌を合唱させた。そして、当時はだれか一人が音頭をとると、直ちに他の者がこれに和し合唱するような状況にあつた。運転係長米沢進は右合唱に警告を発し、またこれを制止したが、被控訴人らはこれにしたがわず、右合唱を継続した。しかし、右合唱により控訴会社の業務に支障を生ずるようなことはなかつた。

2  前叙認定の昭和三五年三月三一日、翌月一日、二日の各職場集会の終了間際に、被控訴人らは、共同して、約二分間にわたり、集会参加組合員に労働歌を合唱させたが、いずれも、喧噪をきわめ、隣接する事務室で執務する点呼執行者の事務上の話合を困難にするほどで、同室における執務を阻害した。

以上の事実が疏明され、当審における被控訴人小野慶三本人尋問の結果(第一回)中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。そして、右2の合唱に対して控訴会社が制止または警告をなしたことはこれを疏明するに足りる証拠はない。控訴会社は、被控訴人らは一回につき二、三〇分間労働歌を合唱させ、また「マサミ、ハギシリ、ブルース」なる歌を高唱させたと主張するが、この主張事実を疏明するに足りる証拠もない。

控訴会社は右認定の被控訴人らの行為に対して前示就業規則第二〇八条第一三号、第一九号、第二〇号を適用したと主張するが、右各号に該当する行為は、前掲疏甲第二号証によると、就業規則第二〇九条の規定により、原則として、極刑処分ともいうべき懲戒解雇をもつて処断されることになつていることが疏明されるから、右各号がその構成要件に該当する行為として予定しているものは、企業外に排除することを相当とする程度の反価値性を有する、職場秩序、規律違反であると解するのが相当である。この見地から本件をみるに、昭和三五年三月三一日、翌月一日、二日の各職場集会における労働歌の合唱は喧噪をきわめ、業務阻害の結果を生じているけれども、その合唱はいずれも約二分のきわめて短時間のものであり、また前叙(一)、(二)の認定事実からみて、臨時守衛に対する対抗措置としてなされたものであることが容易に推認されるところであるから、控訴会社としては右合唱を強くとがめうる立場にあるものではなく、右合唱の反価値性はきわめて軽微で、懲戒解雇に値するものとは認められない。しかして、その他の労働歌の合唱ならびに警告、制止無視についてみると、その労働歌の合唱により控訴会社の業務はなんらの支障を生じていないこと、当時は労働歌の合唱などにより車掌支部の団結と組織防衛を図る緊急の必要があつたこと、だれか一人が音頭をとると直ちに他の者がこれに和するような状況にあつたこと、車掌控室は平常午前五時頃から午後一〇時頃までラジオがつけつぱなしとなつていることは前叙(二)認定のとおりであるから、車掌控室では控訴会社の業務に支障を与えないほどの騒音は黙認されていることがうかがえることに徴すると、右労働歌の合唱ならびに警告、制止無視もまた反価値性はきわめて軽微であつて、懲戒解雇に値するものとは認めがたい。そうすると、右被控訴人らの行為は就業規則第二〇八条第一三号、第一九号、第二〇号のいずれにも該当するものではないといわねばならない。

(四)  職場内の立入および秩序紊乱(解雇事由(二))について

被控訴人小野は昭和三五年三月二三日、二四日の二日間、同阿保は同月二三日、二四日の二日間と同月一五日の三時間、同月二二日の一時間二〇分それぞれスト指令を受け、指名ストに参加したこと、被控訴人小野は同年三月二五日付をもつて一四日間の出勤停止処分、被控訴人阿保は同日付をもつて一〇日間の出勤停止処分に処されたことは当事者に争いがなく、成立に争いのない疏乙第一四号証の一、四、六によると、被控訴人らに対する右出勤停止処分は、昭和三五年三月二一日の無許可集会の開催およびその際の警告、制止無視を理由とするものであることが疏明される。そして、前掲疏乙第四号証の一部、当審証人木村哲蔵の証言および同証言によつて成立を認めうる疏甲第二四号証の四、当審証人佐藤正実の証言、当審における被控訴人小野慶三本人尋問の結果(第一回)を総合すると、当時指名スト実施中であり、しかも、第二組合が結成され、控訴会社弘前営業所の職制による第二組合への加入勧誘が行なわれている形跡があつたので、被控訴人らは、車掌支部の団結の維持、強化ならびに組織切崩し防衛の目的で、右指名スト参加中車掌控室に立ち入り前叙(一)、(二)認定の組合活動をなし、また右出勤停止中車掌控室に立ち入り前叙(一)、(二)、(三)認定の組合活動をなしたが、この間、昭和三五年三月三一日午後一時頃車掌控室において被控訴人小野は守衛長原子正雄から退去警告を受けたことが疏明され、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。疏乙第四号証中には右退去警告の際被控訴人小野が反抗した旨の記載があるが、当該部分は当審における被控訴人小野慶三本人尋問の結果(第一回)に照らしたやすく措信できない。控訴会社は、被控訴人らは上司、守衛からの再三の退去警告を無視して応じず、軽視、反抗、侮辱する態度に出て、ことさらトラブルを惹起し、故意にみだらな風態をして職場内を徘徊したと主張するが、これを疏明するに足りる証拠はない。

まず、指名スト参加者の職場立入、滞留の適否についてみるに、前叙二で認定したように指名ストは運転部門以外の少数の組合員により実施され、控訴会社の業務はほとんど平常どおり運営されていたのであるから、かかる場合には、指名スト参加者が組合活動の目的をもつて職場に立ち入り、滞留することは、それ自体が控訴会社の業務を妨害するものでない限りは、労使対等の実現の見地から、正当な争議行為として許容さるべきものと解するのが相当である。もつとも、右滞留中の組合活動が正当な組合活動の範囲を逸脱し、業務を妨害し、職場秩序に違反するときは、これに対し懲戒責任を追及しうることもちろんである。本件の場合、指名スト中組合活動の目的でなされた被控訴人らの職場立入、滞留は、それ自体により控訴会社の業務を妨害したことの疏明はないから、正当な争議行為というべく、これを懲戒解雇の対象となすことは許されない。そして、右滞留中被控訴人らのなした前叙(一)、(二)認定の組合活動はいずれも懲戒解雇の対象となし得ないものであることは前叙説示のとおりであるから、被控訴人らが指名スト中職場に立ち入り組合活動をしたことをもつて懲戒解雇に処することは許されないものといわねばならない。

つぎに、出勤停止中における被控訴人らの職場立入、滞留をみるに、出勤停止処分が昭和三五年三月二一日の無許可集会の開催および警告、制止無視を理由とするものであることは前叙認定のとおりであるが、右無許可集会は前叙(二)説示のとおり従来の黙認の範囲内にとどまり、控訴会社はこれを受認すべきであつて、右無許可集会の開催および警告、制止無視はこれを懲戒処分の対象となし得ないものであるから、右出勤停止処分は被控訴人らの主張するように許されないものであり、無効であるといわねばならない。したがつて、当該処分の定める出勤停止期間中における被控訴人らの職場立入、滞留を出勤停止中の行為であることを理由として懲戒処分の対象となすことを得ない。そして、右滞留中に被控訴人らがなした前叙(一)、(二)、(三)認定の組合活動は懲戒解雇処分の対象となし得ないものであるか、または懲戒解雇処分に値するほどの反価値性をもたないものであることは前叙説示のとおりであるから、被控訴人らが出勤停止中に職場に立ち入り組合活動をしたことをもつて懲戒解雇に処することは許されない。

以上説示のとおりであつて、本件各懲戒解雇事由は、それ自体はもとより、これを総合しても正当な懲戒解雇事由となすに足りず、控訴会社が事実の部二の(三)において主張するその余の事実は被控訴人らの懲戒解雇責任の有無に消長を及ぼすものではなく、情状に属するものにすぎないから、これをしんしやくするまでもなく、被控訴人らに対する本件懲戒解雇の意思表示は無効というべきである。したがつて、右懲戒解雇が不当労働行為であるかどうかを判断するまでもなく、被控訴人ら申請の本件仮処分の被保全権利の存在はこれを肯定すべきである。

四  仮処分の必要性

被控訴人らは、同人らは、いずれも、控訴会社から支払われた賃金によつてのみ生活している者で、他からの収入はもちろん、預金等の資産もなく、本件解雇によつてたちまち生活は不可能となること明らかであると主張し、その主張事実は控訴会社の明らかに争わないところであるから、これを自白したものとみなす。右事実によると、本件懲戒解雇が無効であるにもかかわらず、被控訴人らが被解雇者として処遇されることは同人らに回復すべからざる損害を与えるものというべきであるから、被控訴人らをして従前の従業員たる地位に復させるため、本件解雇の意思表示の効力を停止する必要があるものと認める。

五  結論

以上の理由により、被控訴人らの本件仮処分申請は理由があるものとして認容すべく、これと同旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、民訴法第三八四条、第九五条、第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 林善助 石橋浩二 佐竹新也)

(別紙一)

(一) 被控訴人らは共同の上

(1) 会社の許可を得ず、同会社の再三の説諭警告を無視して、昭和三五年三月一五日頃より弘前営業所車掌控室内に、組合の文書、旗等を掲示し、ことに同月三一日より同年四月二日までの三日間、午後七時頃から同室において組合集会を開いた際、同所車掌係窓口三カ所のうち受付窓口一カ所を残したのみでその他の窓口を赤旗等でふさぐなど、著しく職場の秩序を乱す行為にでた。

(2) 同年三月二二日から同年四月二日までの間、五回に亘りいずれも午後七時頃から約一時間乃至一時間三〇分の間、組合員多数を煽動し、会社の許可を得ず、かつ、数回に及ぶ制止をも無視して、勤務者の現在する車掌控室に毎回組合員を四〇名乃至七〇名動員して組合集会を強行し、同控室を不当に占拠する行為にでた。

(3) 同年三月二五日以降同月三一日までの間、会社の再三の制止にもかかわらず、勤務者の現在する車掌控室において、毎日一回乃至二回、一回につき二、三〇分間に亘り労働歌の合唱を煽動実行し、職場を甚だ喧噪ならしめ、他の就業を著しく困難ならしめる行為にでた。

(二) 被控訴人らは、昭和三五年三月二一日以降、現在に至るまで、ストライキ又は出勤停止中であるにもかかわらず連日職場に立ち入り、営業所内を徘徊して勤務中の者に対し終日組合宣伝をし、上司、守衛等よりの再三に亘る退去警告をも無視して応ぜず、かえつてこれらに対し軽視反抗する態度にでるなどの行為があつた。

(別紙二)

弘バス告第一号

昭和三十五年三月九日

弘南バス株式会社

取締役社長 西谷嘉三郎

従業員各位

告示

組合の争議については諸事態が予想せられるので、各位に於いては社則、諸規程、その他日常業務の慣行を遵守履行するの外特に左により業務の遂行、職場秩序維持に努めること。本告示に背反したときは厳重処分する。

本告示は昭和三五年三月九日より施行する。本告示は就業規則第九条にもとずき定めるものである。

一、会社の勤務時間中、又は会社の施設内において会社の許可なく組合の文書を頒布したり所定外に掲出したり、組合の宣伝活動を行つたり、組合の集合に参加したりしてはならない。

二、ストライキ参加中の者及び会社より就労を拒否された者は会社施設に立入つてはならない。

三、勤務時間内に届出なくストライキに参加してはならない。又ストライキ解除後は速やかに所属長に届出て指示を受けなければならない。

四、争議の形体により平素の業務につかせ得ないとき、又は他の業務に渋滞を生じたときは臨時に配置を行うことがある。この場合臨配及び就労を拒否してはならない。

五、その他上長の指示命令に反き、又は職場の秩序をみだす行為を行つてはならない。

六、前各号に牴触する者には報告書、顛末書の提出を求める。この場合速やかに提出しなければならない。

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